幕張ハミルトンカスタムサーフボードと師匠福田マサオとのこと
ハミルトンサーフボード と、福田マサオとの出会い
多くの方が御存知の通り
現在ハミルトンカスタムサーフボードは閉店しています。
お店がオープンしたのが1984年
今から30年以上も前のことです。
そして私が福田さんと出会ったのが今から15年ほど前。
サーフィンを始めようと思い立って、初めて手にしたサーフボードが「ハミルトンカスタムサーフボード」のスリーストリンガー。
残念ながら、そのボードは今はありません。確か福田さんがお店を開いてしばらくしたときに、鎌倉の「NO BRAND サーフボード」の出川さんがシェイプして、福田さんのお店に納品したものだと聞いています。
不用品として打ち捨てられ、ボロボロだったそのボードを手に入れ、私は30歳を過ぎてからサーフィンライフをスタート。
あちこち穴が空き、水が入り放題。このままじゃいかんと修理しようと考え
その材料を手にいれるためにお店に伺ったのが福田マサオとの出会いでした。
当時のことは今でもよく覚えています。
お店に材料を貰いに行った図々しいソウママサオ
流石に材料をください(「売ってください」じゃなくて「ください」です・・・)といったら気分悪くさせちゃうかな〜と考えながらお店に到着。
お店の前で道具の片付けをしていた福田さんとの一問一答は、こんな感じだったと思います
ソウママサオ「あの、ハミルトンサーフボードはこのお店ですか?」
福田さん「そうだよ!」
ソウママサオ「福田マサオさんをお願いします」
福田さん「俺だよ お前サーフィンやんの?ま、いいから店はいんなよ。名前なんて言うの?」
ソウママサオ「ソウママサオです !」
福田マサオ「同じマサオじゃねーか!」
ソウママサオ「ありがとうございます。かっこいいお店ですね、ボードも売ってるんですか?」
福田マサオ「うちはボード屋だからね。んでお前どんなサーフボード乗ってるの?」
ソウママサオ「それが、人からもらったんですけどハミルトンって書いてあるんですよ、調べたらこのお店だってのがわかって・・・」
福田マサオ「そりゃ嬉しいね!どんなボードかみたいから今度持ってきなよ」
ソウママサオ「NOBRANDって書いてあって・・・」
福田マサオ「それ珍しいね、出川が削ったボードじゃねーか」
ソウママサオ「それで、ボードがぼろぼろすぎて修理したいから材料分けて貰いたいなーと思って今日お店に来たんですよ」
福田マサオ「いいね〜お前最高だね!修理しろよ!材料好きなだけ持ってっていいぞ」
ソウママサオ「全部でいくらですか?」
福田マサオ「そんなもんいらねーよ。うちはボード屋だからさ」
ソウママサオ「悪いからワックスかなんか買っていきますよ」
福田マサオ「そんなもんねーよ、ワックスとかリーシュみたいなダサいもんはそのへんのサーフィンショップで買えよ」
ソウママサオ「ありがとうございます!」
福田マサオ「おう!修理できたら持ってこいよ。わかんねーことあったらいつでも店にきな」
あれから15年
勤務先が近くだったこともあって、多いときは毎日のようにお店に顔を出し
福田さんや、お店を訪れるお客さんと馬鹿な話をして
そのうち自分のサーフィンスクールのお客様に向けてオリジナルブランドのサーフボードを作ってもらうようになり
それでお金のことでイロイロ揉めちゃったりして・・・
幕張「ハミルトンサーフボード」について残念なお知らせがあります
LONGBOARDRESCUEではステップアップしたいお客様のために、BARD SURFBOARDSブランドとして幕張ハミルトンサーフボードでボードを作ってもらっていました。 実際お客様にも好評で、二十人以上の方にBARD SURFBOARDSを使っていただいています。 この他にも直接お店に行って、シェーパーの福田さんにボードをオーダーされた方も大勢いらっしゃいます。 ...
昨年このBLOGで福田さんのお店の状態や、オーダーについて気をつけてほしいことをBLOGで書きました
その記事を見た方からご連絡を頂いて、その都度電話で説明していたということもあったので、あらためてこのBLOGで福田さんとハミルトンサーフボードのその後を書いておこうと思います。
2017年5月福田マサオの入院
昨年5月、幕張にあるハミルトンサーフボードの店先で倒れました。
二度目の心筋梗塞です。10年ほど前に心筋梗塞で一度倒れてから福田さんは海から遠ざかってしまいました。
倒れたときは深夜。
30分ほど経ったときに偶然お店のお客さんが店の前を通りがかり、すぐに救急車で病院に運ばれ集中治療室に担ぎ込まれました。
その後、脳の損傷を食い止めるため、二週間ほど低体温下で治療、もちろん意識は戻らないままです。
二週間後奇跡的に回復し、その一ヶ月後にはリハビリ施設に転院するまでに回復。
幸い後遺症などは残らず、通常の生活なら送れるとのことリハビリで体力を戻したあとに退院する見込みがたちました。
私が半年ぶりに再開したのはそんなタイミングでした。
福田さんとの和解
ハミルトンでボードづくりを手伝っていたコージくんから連絡をもらい、千葉市にあるリハビリ施設へお見舞いに。
顔を見る前までいろんなことを言ってやろうと半ば息巻きながら病室に向かったものの、いざあの福田さんと会うと
それまでのわだかまりはなくなっちゃいました。
病室でも、「またボードを作るんだ」「今度はこんなボード作るだけどソウマどう思う?」とお店にいたときと変わらずに話す福田さんを見て安心したというか、呆れたというか・・・
ま、コレがハミルトンの魅力でもあったんですけどね。
福田マサオの現在
その後1ヶ月ほどリハビリ施設に入院した後無事退院。
退院後は以前と同じく幕張に住んでいます。
時々連絡を頂きますが至って元気に暮らしているようです。
相変わらず「ボードのリペアはじめました!」とか「安い原付きバイクがあったら紹介してください」なんていうくだらない連絡を頂いています。
ただ、お金を頂いてキャンセルとなってしまったボードのことは常々気にかけているようです。
またボードが作れるようになったら、踏み倒してしまったお客さんにボードを作って帰していきたいと言ってますが、もう本気にする人はいないですよね・・・
ハミルトンサーフボードのお店
Hamilton Surfboards Home Page
幕張 カスタムメイド ロングボード専門店 ワンハンド ハンドメイド
福田さんが倒れたあと、親戚の方、関係者の方で相談しお店は閉店することになりました。
詳しくはわかりませんが、福田さんが踏み倒すことになったボードは40本以上だったようです。
他にも家賃や、材料費など、支払っていなかったお金がかなりあったらしく、閉店当時は私のブログを見た方からたくさん連絡をいただきました。
当然入院中の福田さんにはそのお金を返すあてもなく、30年続いた世界で唯一と言っていいロングボード専門のお店「ハミルトンカスタムサーフボード」はなくなってしまいました。
最後の最後まで福田さんらしいというかハミルトンサーフボードらしい幕引きになっちゃいましたけど
あんなハチャメチャなお店、今後は登場しないだろうなと思います
同時にもう少し福田さんがちゃんと仕事ができるような支援をしておけばよかったかなと、すこしだけ後悔しています。
ハミルトンサーフボードはなくなってしまいましたが
ボードはそのまま残ります
もし今ハミルトンのボードでサーフィンしてる人は、そのまま大事に使ってくれたら福田さんも喜んでくれるんじゃないかなと思います。
私は今でも福田さんのボードが最高だと信じてやみません。
1989年頃によく行ってました、そこの頃の仲間とも今もサーフィンしてます、当時も何人もオーダーしても板が来なくてみんな離れていきました
返信削除最近も福田のオッサンどうしてるかな?と話になりましたけど
これ読んで近況がわかりました、
福田さんはご健在なのですか?
削除どうしてるのでしょうか、
ボードが有れば 欲しがる人はいるのでしょーか?
返信削除なんだかんだ、むかしからの人は福田さんが好きなんじゃないかな
返信削除ハミル開業から知ってます。
返信削除調子いい嘘つきでした、当時の嫁の実家がそばで信用してましたが、夢やぶれた感じかな~
慶應ボーイらしいけど、人様に迷惑はいけないな。まだ俺の12feet来てないけど。生きていたら作らせる!
私もお金を払って、ボードを手に入れられなかった1人です。
返信削除クラシックスタイルのボードが好きだったので、出来上がるのを楽しみにしてました。前金の要求が何度があったので、この人大丈夫かと思ったのが記憶に鮮明に残ってます。犠牲になった人が40人いる事実を重く捉えて、生きているのであれば誠意を持って対応して欲しいです。
福田さんを見ているとビッグウェンズデーのベアーサーフボードのオーナーを思い出します。良くも悪くも昔のサーファーで昭和のテキトー男・・みんな騙されて・・それでも寛容に笑う仲間たち・・。彼の手から出来上がってきたボードのみが真実であり本当に素晴らしいボードでした。サーフィンとは?サーファーとは?サーフボードとは?お金なんて社会の道具でしかないのか?いや、一生懸命稼いだお金だよ・・・でもなぜ?こんなに裏切られてもあのボードが欲しいのか?
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